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Opal Dream ポビーとディンガン

オーストラリア映画 (2006)

映画初出演のクリスチャン・ベイヤース(Christian Byers)が主演するファンタスティックなドラマ。オーストラリアを代表するオパールの産出地クーバー・ペイディを舞台に、11歳の少年アシュモルの目を通して、一攫千金を夢見て1年前にこの地にやって来た父、掘っても掘っても何も出ないので貧しい家計をミニ・スーパーの店員として支える母、空想の友だち2人と遊ぶことしかしない妹ケリーアンにとっての「運命の日々」を描く。貧しいだけの一家に不幸がふりかかってしまった原因は、父の無神経さが1とすれば、ケリーアンの利己的とも言える強引さが9。お陰で、父は隣の採掘場にオパールを盗みに入ったと告発され、家族は「村八分」の状態に置かれる。この映画、同名原作の評価が高いのに、映画版のIMDbは6.6、Rotten Tomatoesは70%と、思ったより低い。その理由の一つは、妹のケリーアンの性格設定が あまりにも自分勝手過ぎ、そのケリーアンを演じるSapphire Blossomの演技がどう観ても上手とは言えない点にある。だから、利己主義の塊のようなケリーアンが「勝手」に病気になった時、アシュモルが孤軍奮闘しても感動につながらない。もう少し、ケリーアンが家族に優しい子だったら、いなくなった空想の友だちを探そうする努力に声援を贈りたくなるのだが。こうまで自分勝手となると、「感動的」とされている最後の葬儀のシーンも白々しく感じてしまう。この映画の見どころは、ひとえにクリスチャン・ベイヤースの自然な演技の素晴らしさ。それは、1年後に出演した『ディセンバー・ボーイズ』でのスパーク役でのクリスチャンが、「本当に出演していたの?」と思うほど目立たなかったのと比べ(監督が悪い)、燦燦と輝いている。最後に、せっかくオパール映画なので、私の所有している鉱物標本としてのボルダーオパール(写真の遊色部分は6×2センチ)を下に示す。昔、東京の鉱物フェアで購入したもの。
   

アシュモルの父は、1年前、オパールに取り憑かれ、一発屋の鉱夫に身を落として南オーストラリア州の片田舎にやって来た。夫を愛している妻は、ミニ・スーパーの店員になって家計を支え、11歳のアシュモルと9歳のケリーアンは新たな学校で友だちもできずに孤立する。そんな中、妹のケリーアンは、寂しさを紛らすために空想の友だちポビーとディンガンを作り出す〔ここに来てから出来た証拠に、ディンガンのおへそにはオパールがついている〕。一方のアシュモルは、父に似て、オパール探しに熱中。学校が休みに入ってすることがなくなると、父の鉱区に一緒に行って手伝う。その日は、坑道を爆破して、岩を粉砕し、埋まっている「あるかもしれないオパールの原石」を見つけ出すための作業。父は配合を間違え、発破で落盤が置き、やっとの思いで坑道から抜け出す。しかし、その日、父は、妹に「空想の友」を忘れさせようと、トラックにポビーとディンガンを「乗せ」て鉱区まで連れてきていた。父とアシュモルは事故もあって、「空想の友」のことなど全く忘れてしまう。帰宅して、妹に指摘されて初めて「連れて行ったことにしていた」ことに気付く。「空想の友」なので、いなくなることなどあり得ないのに、妹は、ポビーとディンガンがどこにもいないと心配し、騒ぎ立てる。そして、真夜中にもかかわらず、鉱区まで探しに行くことを要求する。翌朝まで待たずに出かけた父は、妹に駄々をこねられ隣の鉱区まで探しに行き、口うるさくて疑い深い隣の鉱夫に「オパール泥棒」として警察に告発されてしまう。鉱夫の町なので、「オパール泥棒」はやってはならない最悪の行為。濡れ衣を着せられた一家は、村八分にさらされる。一方、ポビーとディンガンと別れたままの妹は、体力が急速に低下。心配したアシュモルは、ポビーとディンガンの姿を描いた紙を町中に貼るが、冷笑を買っただけ。病状が悪化して入院する前夜、妹に頼まれたアシュモルは、落盤を起こした坑道に行き、ポビーとディンガンがいた証拠を見つける。それは、ポビーの義足とディンガンのおへそについていたオパールだった。一方、父の裁判は、アシュモルが親しく付き合っていたハンフの見事な弁護のお陰で無罪放免に終わる。アシュモルは、妹の希望通り、ディンガンのオパールで支払うことで2人の葬儀を行い、多くの町の人が妹を元気付けようと参列する。

クリスチャン・ベイヤースは出演時11歳。少し下がり眉で鼻の下に小さなホクロが2つある。子役ではないので歯並びは良くない。そこが何とも自然体で、多様な表情と合わせ、彼をオーストラリアの映画史上ベストの子役にしている(個人的には、ハリウッドで活躍しているエド・オクセンボウルドより上だと思っている)。クリスチャンは現役の俳優だが、このデビュー作以外、観るべき「子役時代の映画」はない。


あらすじ

映画の冒頭、オープニング・クレジットと同時に、主人公のアシュモルが「捨石の山」で遊んだり、地面に落ちている石の中に何かないかを探している姿とともに、本人の独白が流れる。「夢を見るのは、眠ってる時だと思うだろ。でも、ここクーバー・ペイディじゃ、町中がいつも夢を見てる。それは、昔、ここが大海の底だったから。何百万年も前、ここは一面の海、魚がやたら泳いでた」(1・2枚目の写真)「だけど、海が干上がると、魚は逃げ出し、残ったのは地中深くに埋まったオパールだけ。世界中から人々がやって来て、鉱区の杭を打ち、素敵な色の石を掘り当てることを夢見てる」。舞台となったクーバー・ペイディのホームページを見ると、こう書かれている。1915年の2月1日、金鉱探しのグループがあきらめてキャンプをたたみ、水を探していたら、男たちの息子で15歳になるWilliam Hutchisonがオパールを発見した。1917年に鉄道が開通するとオパール・ラッシュが始まり、1946年には「オーストラリア史上最高のオパール」が発見されて二度目のブーム。1960年代にはヨーロッパからの移民も加わり一大産業になる。オパールの採掘者は50メートル四方の鉱区を申請する。初期の採掘法は、垂直のシャフトを掘り、そこから水平にシャベルで掘っていくものだが、お金のないアシュモルの父はこの方法に頼っている〔1970年代以降は機械化が進んでいる〕
  
  

いつもの日常。父は「幸運を祈っててくれ」と言ってオパール掘りに出かけ、アシュモルは母に言われて、家の外に置いてある廃車に妹を呼びに行く。廃車の中は、妹が2人のイマジナリー・フレンドと遊ぶ場になっている。アシュモルがドアを開けて声をかけても(1枚目の写真)、妹は兄のことなど完全に無視して遊び続ける。友達のいないアシュモルは、父の採鉱区の脇の「捨石の山」に登り、捨てられた石片の中に何かないかと探してみるが(2枚目の写真、矢印)、そんな甘いものではない。それもつまらなくなって、鉄板で作った手製の橇に乗って捨石の斜面を下る。叫び声を上げて滑り降りたところで、男が穴から顔を出し、「やい、俺の鉱区で何してやがる?」と怒鳴る(3枚目の写真、矢印は滑走してきた方向)。「何も」。「杭が見えんのか?」。「遊んでるだけだ」。「違う。ヌードル〔noodle: オーストラリア方言で、「廃石の中からオパールを探す」〕してやがる。はっきり警告してあるだろうが。俺の鉱区でヌードルは許さんぞ。お前のオヤジはどこだ?」。「地下だよ」。「なら、そこに引っ込んでろ、このチビ・ラッター〔ratter: オーストラリア方言で、「他人の鉱区からオパールを盗む人」〕め。とっとと失せろ、二度と来るな!」。荒っぽくて偏狭で猜疑心の塊のような男だ〔名前はシド〕
  
  
  

町で行われた「オパールの王女様コンペ」。小学生の女の子が、それぞれに衣装を凝らして登壇し、簡単なスピーチをするというもの。妹の番になり、家族で見に来ていたアシュモルと母は拍手(1枚目の写真)。ぎりぎり間に合った父は、気のない態度。妹は、「王女様」とは縁遠い普段着のまま登壇する。妹は背の低い誰かと手をつないでいて(2枚目の写真、矢印はディンガンとつないだ手)、「素敵な髪ね」と話しかける。司会が「よこうそ、ケリーアン」と言うと、「彼女、ちょっと恥ずかしがりなの」と弁解する。年齢を訊かれると、「私は9歳、彼女は12歳」と答え、さらに、「そうよね、ポビー」〔ポビーは空想の男の子。妹の目には、2人が一緒にいると見えている〕。司会は、他の少女にしたのと同じ質問をする。「優勝したら、何がしたいかな?」。「知らないわ。だって候補者はディンガンだもん」。会場からは笑い声が聞こえ、恥ずかしくなったアシュモルは着ている服を引っ張って頭を覆う。その後、食堂に入った一家。妹は母に皿を2つ要求する。ポビーとディンガン用だ。妹は、2つの皿に、自分のピザの1/4ずつを置く。父は「2人は存在しないんだ」と言うが、妹は、「私のお友だちよ」と反論。「ポビーとディンガンは、お前の頭の中だけにしかいない。お前の空想の産物なんだ」。「やめてよ。2人が気を悪くするじゃない」。そして、2人に向かって「あんなの聞いちゃダメ。無視するの」。「下らん遊びはすぐに止めるんだ」。母は、とりなすように、妹に話しかけようとするが、妹はそれも無視して、空想の2人と話し続ける(3枚目の写真、矢印は2つの余分な皿)。父は「空想の友」に対してあまりにも不寛容、そして、妹は不自然なほどに自分の世界に引きこもり、家族との関係まで遮断している。
  
  
  

学校は夏休みに入る。クラスの子は、海に行ったり、祖母のいる街に行ったりするが、アシュモルの家にそんな余裕はない。アシュモルと妹は、一緒に自転車で帰る。途中、母が勤めているミニ・スーパーに寄る。そこの店長の女性は、ポビーとディンガンの好みを心得ていて、ポビーにはブルーベリー、ディンガンにはチェリーのぺろぺろキャンディーをクリスマス・プレゼントとして渡してくれる〔南オーストラリア州の夏休みは12月17日~1月29日なので、クリスマスには少し早い〕。家に帰った2人。妹は、さっそくブランコのところに行き(座席は2つ)、ポビーとディンガンを乗せ、手でチェーンを押して揺する。それを見たアシュモルは、「死んじまえ! このロクデナシ!」と叫びながらブランコに襲いかかる。「やめて!」。「構うもんか、どうせ いないんだ!」。「ケガするじゃないの!」。「ホントにいるんなら、なんで反撃しない?」。「平和主義者だからよ、バカね」。アシュモルがチェーンの間を殴る。「うまく避けたわ」。「避けた? いないくせに!」(1枚目の写真)。「いないなら、なぜ殴るのよ?」。「ムカつくからさ!」。夜、母が床に小麦粉を振りかけてサンタの足跡を作っていると、父が「メリー・クリスマス」と言いながら帰ってくる。壁に吊るした「P」と「D」のイニシャルをつけたソックスを見た父は、「こんなことは止めるんじゃなかったか?」と文句を言うが、母はクリスマスだからと宥める。その夜、ベッドに入った父は、唐突に「ボクシング・デー〔12月26日〕に、あいつらを鉱区に連れていく」と言い出す。父の計画は、その間に娘を母の雇い主の家のバーベキュー会に行かせ、友達と遊ばせ、少しでも「空想の友」を忘れさせようというもの。そのボクシング・デーの朝、父は、妹の両側に自ら2人分の皿を置く。不審そうな顔をする妹に、ぺろぺろキャンディーを2つ渡す。それを見たアシュモルは、「どうしちゃったの? いないって分かってるのに?」と訊く。父は、「ホントにいると思ってる」と嘘を付き、妹のご機嫌をとる(2枚目の写真)。妹は大喜び、アシュモルは白ける。
  
  

次のシーンでは、父が仕事用のピックアップトラックの後部座席にポビーとディンガンを乗せるフリをし、妹に言われてシートベルトを着ける。「パパ、2人の面倒 見てあげてね」。「ああ、幸運をもたらしてくれるかもな」。2人がいなくなると、妹は意気消沈、バーベキュー会でも心配のあまり誰とも口をきかず1人でいる〔それなら、なぜ、あんなに上機嫌でトラックに乗せたのか? 不機嫌そのものの顔にも違和感を覚える〕。一方、鉱区に着いた父とアシュモルは、「2人」のことなど眼中にない。火薬を調合し、父は垂直の作業坑を降りて坑道に潜る。導火線で点火するかと思いきや、中に入ったまま点火する。そして爆発(1枚目の写真、左の矢印は発破坑、右の矢印は父が降りて行った作業坑)。爆発の粉塵は左の穴から出ているが、右の穴からも少し出ている。本来は作業坑からは出ないはずなので、これは火薬量が多過ぎたため。アシュモルが心配そうに作業坑を覗き、「パパ!」と呼びかけると、粉塵まみれになった父の手が現れる(2枚目の写真、矢印)。父は、爆破の衝撃で一時的に耳が聞こえず、肩もケガしていた。この人物、多分に自信過剰なところがある。隣の鉱区のシド、先日アシュモルを怒鳴った男が飛び出てきて、文句を言う。しかし、坑道で作業中に、至近距離で落盤を起こすような「発破ミス」を起こされたのだから、怒るのは当然だろう。父は謝ったのかもしれないが、そのシーンはカットされている。
  
  

父は、発破失敗の後、アシュモルを連れて町のバーに行く。そこでは、仲良くしているドック〔医者という雰囲気ではない〕がいたので、爆発直後のことを話す。1枚目の写真は、食べながら聞いているアシュモルの典型的な垂れ眉顔。ドックからは、「調合はちゃんとしないと。お前さんの頭の上には山ほど岩がある。もっと岩を大事にするんだな。そうすりゃ、岩もお前さんを大事にしてくれる」とのアドバイス。最後の言葉はアシュモルを向いて言ったので、アシュモルは思わず笑う(2枚目の写真)。父が新たにビールをもらおうとカウンターに行くと。「ツケはダメよ」と警告される。何とかツケで許してもらうが、経済状況が危機的なことがよく判る。
  
  

寄り道したので帰宅が遅くなる。イライラしながら待っていた妹は、大喜びでトラックに駆けて行く。しかし… 「どこなの?」。「誰が?」。父は「空想の産物」のことなど完全に忘れている。妹が後部座席を覗いても、そこには2人はいなかった〔妹は、なぜ、いないことにしたのか?〕。妹は、居間で休んでいる父のところに行くと、「パパ、2人はどこなの?」と責める。母が、「寝なさい」と言っても、「ママ、パパはポビーとディンガンを忘れてきたのよ」と相手にしない。母:「ブランコで遊んでるか、おウチ〔廃車〕に真っ直ぐ戻ったんじゃないの?」(1枚目の写真)。「もう探したわ」。妹はさらに責め立てる。「迷子にしたのね!」。アシュモルは、「よかったな〔Good on you〕」と皮肉る(2枚目の写真)。「何よそれ。真っ暗なのよ。怖がってるわ!」。母が宥めても効かない。「パパが鉱区に連れてったのよ。今すぐそこに行って探さないと」。父と母は朝になったら行こうと言うが、「今すぐ行きたい!」の一点張り。正直、妹の描き方には腹が立つ。イマジナリー・フレンドの監視責任を父に転嫁するのは不合理で無責任。他人には見えないのだから、シートベルトが外れていない以上、父に瑕疵はない。そもそも、トラックに乗せて行かせることに同意した本人が悪い。だから、この態度は「非常にワガママ」としか言いようがない。
  
  

父とアシュモルは、仕方なく、妹を鉱区に連れて行く。真っ先にトラックを飛び出た妹は、「ポビー! ディンガン!」と走り回ろうとするので、父は「気をつけろ。穴がいっぱいあるぞ」と注意する。「助けてよ、パパ」。「自分でやるのが一番だ」。「お願い手伝って」。この後の不始末は父にも責任がある。「ほら、あそこにいるぞ」と嘘をついたのだ。「どこ?」。「ウィンチの後ろに走ってくのを見た」(1枚目の写真)。「ポビーは走らない。片方が木の脚だから引きずるようにしか歩けない。忘れたの?」。アシュモルが、「惜しかったね〔Nice try〕」と父をなぐさめる。妹は、父の鉱区の穴を覗くと、降りもしないで「ここにはいない」と言い〔実は「いた」ことが、後で分かる⇒なぜ、妹はこうもいい加減で専横的なのか?〕、父をシドの鉱区へと押しやる。ここで、父ははっきりと拒絶すべきだった。この人物は、所有権に関して認識が甘すぎる。そこで、真夜中に勝手に杭の間を抜けて隣の鉱区に侵入する。泥棒と疑われても仕方がない。そして、他人の作業坑を覗いて懐中電灯で照らす。その愚かな行為に対する反撃はあまりに素早く、代償は大きかった。シドは、「おい、貴様、ウィリアムスン。やっぱり貴様だったな。俺のヤマで何してやがる?」と猟銃を突きつけて詰問する(2枚目の写真)。父のポケットは空だったが、盗もうとしていた可能性は十分にある。娘のイマジナリー・フレンド探しは小賢しい言い訳としか聞こえない。すぐに警察が呼ばれ、父は取り調べのため連行される。警察署に駆けつけた母に、妹は、「ママ、ごめんなさい。パパを面倒に巻き込むつもりはなかったの」と謝るが(3枚目の写真)、自分の行動が悪いと認識するのはこれ1回のみ。後は、父親がどう苦境に立たされようが、ポビーとディンガンのことしか頭にない。この後、アシュモルには声援を送りたくなるが、妹には反感しか覚えないのは、こうした独り善がりな態度のため。
  
  
  

翌朝、母は、朝食のテーブル上に、ポビーとディンガン用に皿を2枚置くが、妹は、「なぜ、こんなことするの?」と訊く。「2人が帰るかもと思ったから」。「帰らない」。妹を心配する母に、「心配するなら、ポビーとディンガンにして」と文句。見かねたアシュモルは、2人だけになると、「ご立派。お前は病気なんかじゃない。フリしてるだけだ。空想の友だちと同じだろ」と批判する(1枚目の写真)。妹はベッドで寝てしまい、アシュモルは1人でつまらないので、私設のミニ博物館に自転車で行く。そこには、大好きなハンフおじさんがいて、オパールの原石のカット加工の秘訣を教えてくれる(2枚目の写真)。アシュモルが家に戻ってみると妹がいない。彼女は、家の周りでポビーとディンガンを探してした。「お願い助けて」と頼まれ、「どうしても見つけなきゃ」と言うのを見て可哀相になったアシュモルは、「他に行きそうな所は?」と尋ねる(3枚目の写真)。妹は、2人が好きな場所だけでなく、2人について、今までアシュモルが無関心で知ろうとしなかったことまで話す。アシュモルは、半分信じた気になり、妹を自転車に乗せて慰めてやる。
  
  
  

その夜、昨夜から1日も立たない時間に、窓の外で爆発音がする。父、母、アシュモルが家の外に出ると、家の前に置いてあった廃車にガソリンがかけられて炎上し(1枚目の写真)、横には、「ラッター」と書かれた紙を足に付けた状態で首を吊った人形がロープにぶら下げてあった。シドとその仲間の鉱夫による、陰湿かつ暴力的な見せしめだ。シドは、父を裁判で訴えているので、これは、プラスαの最低の嫌がらせ。頭にきた父は、モングロー〔mongrel: オーストラリア方言で、「見下げ果てたやつ」〕どもがいそうなバーに向かう。心配になったアシュモルは母に内緒で後を追う。アシュモルがバーに着いた時には、父はシド、プラス、3人の鉱夫に足蹴にされ、地面に倒れていた。アシュモルの姿を見たシドは、「ラッターを連れて帰るんだな」と言ってバーに戻って行く(2枚目の写真、左上の矢印はシド、右端はアシュモル、下端は父)。
  
  

翌朝になって妹が心配したのは、ポビーとディンガンの棲み家だった廃車が燃えてしまったこと。以後、妹の健康状態は悪化の一途を辿る。一方、父とアシュモルは、新しい鉱区の取得に事務所に行く。しかし、鉱区はすべて塞がっていると言われる(1枚目の写真)。地図も書類も見せてもらえない。周りにいた鉱夫たちも、口々に「出てけ」と言う。ラッターに分ける土地などないという訳だ。オパール掘りはゼロか一攫千金かの世界。そんな中で、他人の鉱区からオパールを盗もうとする人間が唾棄され、憎しみの対象になることは分かる。しかし、有罪にはなった訳ではないので、集団リンチのような状況は行き過ぎだろう。父は、鉱区に指定されていない場所で見つけてみせると豪語して事務所を出て行く。2人が向かったのは何もないただの原野。父は、トラックを降りると、針金をL字形に曲げた「Lロッド」を1本ずつ手に持ち、オパールのサーチングを始める。いわゆる「ダウジング」と呼ばれる「地下水や貴金属の鉱脈を探す」眉唾の方法だ。アシュモルは、不審に満ちた顔で父親の行動を見ている(2枚目の写真)。父は、鉱区を決め四方に杭を打つ。「こんなトコで、誰も掘ってないよ、パパ」。「今に掘るようになる」。父はトラックのヘッドライトの明かりを頼りに穴を掘り始める。
  
  

妹は寝込んでしまう。心配した母は、夫の友人のドックに往診を頼む。ざっと診たドックは、「確かなことは言えないが、多分ウィルスだろう。2・3日で良くなるよ」と述べる。そこに、父とアシュモルが帰宅する。ドックは、父に向かって、改めて、妹は病気で、吐き気と熱があると話す。それを聞いたアシュモルは心配になる(1枚目の写真)。ここで映画は全体の4割に達し、以後はアシュモルの活躍場面となる。ここまでは、ワガママで可愛げゼロの妹と世間知らずの父に振り回されてきたが、ここからは映画の持ち味が堪能できる。翌日、アシュモルは、ポビーとディンガンを捕まえて妹を喜ばせてやろうと思い、捕獲作戦を思いつく。そして、ドラム缶を用意し、妹と母を呼んできて、「アシュモル式のポビーとディンガン用ワナです」と発表する(2枚目の写真、矢印はドラム缶)。傾けたドラム缶を支える木の棒にぺろぺろキャンディーが結んである。「砂糖の匂いをかいだ男の子たちはガマンできなくなって…」。ここで、母が「ディンガンは女の子よ」と注意する。「砂糖の匂いをかいだ男の子と女の子はガマンできなくなって、大好きなキャンディーをつかむんです。キャンディーにはこの見えにくいワイヤーがついていて、木の棒を引っ張り、すると…」と言って、ドラム缶が真っ直ぐになり、中に2人を閉じ込める状態を示してみせる。妹は「ディンカンは暗い所を怖がるから可哀相」と乗り気ではない。母は「キャンディーを舐めるのに夢中だから」と宥め、アシュモルは「捕まえたら、すぐに助け出せばいい」と言う。妹は、①もう、どっちでもいい、②自分は気分が悪い、の一点張り。その後、アシュモルは、年上の悪ガキに、「ラッター」の用語の元になっている「ラット」(大型のネズミ)の死骸を自転車にぶら下げられ、「そいつ、お前の親戚だろ?」と嫌がらせを言われる。「お前の親爺はラッターだ。家族全員がラッターのくず野郎だ」。母は、勤めていたミニ・スーパーを、「客が寄り付かなくなった」という理由で解雇される。一家は村八分。収入の途も断たれる。ドックは、血液、尿、アレルギーを検査しても、どこにも異常はなく、「私にできることは何もない」と母に告げる〔医療費はツケか好意でタダ?〕。その夜、妹が苦しそうに吐いているのを見たアシュモルは、どうすべきかを真剣に考える(3枚目の写真)。
  
  
  

翌朝、アシュモルは妹を起こすと、1枚の紙を見せる。そこには、「迷子! 助けて! ケリーアン・ウィリアムスンの友だちポビーとディンガン。特徴: 空想、静か。見つけた方には謝礼を出します」と書いてあった。アシュモルは、「これを町中に貼ろうと思うんだ」と話す。妹は、「写真が要るんじゃない」と批判。「写真なんてないだろ?」。「絵を描くわ」。妹は色鉛筆を取り出し、2人について詳しく説明しながら描いていく。大きなポイントは、ポビーの左脚が木の義足で、ディンガンはおへそにオパールが付いていること。アシュモルは、何となく、2人が本当にいるような気になる。アシュモルは、完成した貼り紙を母が勤めていたミニ・スーパーに持って行く(1枚目の写真、矢印は貼り紙)。店長は、元々、ポビーとディンガンには理解のある女(ひと)なので、恐らく無料でコピーしてやる。「お母さんにも言ったんだけど、できるだけ早く入院させないと。そしたら良くなるわよ」。「もっと複雑なんだ。ケリーアンのは『心配しすぎ』による病気だから、病院なんかじゃ治らない」。「そうかもね」。そして、絵を見て、「想像してたのと全然違うわ」(2枚目の写真、左の矢印は 木の義足、右の矢印は おへそのオパール)。アシュモルは、コピーしてもらった貼り紙(白黒コピー)を町中に貼って回る。貼る作業は日没になるまで続く。郵便受けに入っていたものを持って家に入って来たアシュモルに、父は貼り紙を見せ、「おい、これは一体何だ? 町中にあるぞ」と問い詰める。「町中のみんなに見えるように。ケリーアンが途方に暮れてるって分かるでしょ。鉱区にいたのは2人を探していたからで、ラッティングじゃないってことも」(3枚目の写真)。こんな賢いアシュモルに対し、単細胞の父は「お前はマトモな奴だと思ってたのに」と批判。アシュモルが「この手の貼り紙には定番」だと思って「何となく」書き入れた「謝礼」の言葉にも、ケチをつける。
  
  
  

アシュモルは持ってきた郵便物を父に差し出す。それをひったくるように取った父。中に、裁判所からの召喚状があるのに気付いて驚く。「暴行、不法侵入、非合法の試掘に対する告発。法的代理人を明らかにされたし」(1枚目の写真)。父は、「弁護士を雇う金なんか、どこにある? 有罪になったら賠償を請求される」。父の口調は母とアシュモルを責めているようだ。アシュモルは、「ハンフは法律の学位を持ってるよ」と助け舟を出すが、父は耳も貸さず、無意味な荒地にオパール探しに出て行く。この時点では、父親が「最低のクズ」だ。この映画は、人格設定が極端に過ぎるのが最大の欠点だ。アシュモルはさっそく自転車に乗ってハンフのミニ博物館に向かう。ハンフが、ダイアナ妃の葬儀への招待状(雑誌に掲載されていたもの)を額に入れたものを、観光客向けだと言って見せたので、アシュモルは法律の学位もニセモノではないかと心配になる。「法律の学位。あれはホンモノ?」。失礼な質問の理由を訊かれたアシュモルは、「パパが都会から来る判事によって裁判にかけられるんだ」と打ち明ける(2枚目の写真)。ハンフが引き受けてくれることになったので、アシュモルは穴を掘っている父のところまで行って報告する。すると、返事は、「奴は、出まかせ野郎〔full of shit〕だ」。「学位を持ってるよ。イギリスのだ」。しかし、父は、またしてもアシュモルの努力を無視し、「一発掘り当てて、ちゃんとした弁護士を雇う」と夢みたいなことを言い、息子を追い払う。
  
  

その夜、妹は寝ているアシュモルを起こす。「きっと、2人とも死んだのよ」。「何 言い出すんだ〔What are you on about〕?」(1枚目の写真)。「坑道が崩れた時にケガしちゃって、真っ暗で寒いトコに倒れてるんだわ」。そう言うと、妹は、鉱区まで行って坑道に降りてくれと頼む(2枚目の写真)。真夜中に、落盤のあった場所に行けというのは、危険で非常識。はなはだ自分勝手な頼みだが、それでも、アシュモルは、明日、妹が入院させられると知っているので、家を抜け出して自転車で坑区に向かう。
  
  

アシュモルは、懐中電灯を口にくわえると、作業坑のハシゴを降りる(1枚目の写真)。坑道の中には、発破で飛ばされた石がゴロゴロしている。アシュモルが最初に見つけたのは、ブルーベリーのぺろぺろキャンディーの青のアルミ箔、その先にはチェリーのぺろぺろキャンディーの赤のアルミ箔もある。アシュモルは、「ひょっとして」と思い始める。懐中電灯を口にくわえたまま、両手で石をどんどんどける。すると、石の間から細い木の棒が見つかる(2枚目の写真、矢印)。ポビーの義足だ。アシュモルの思いは確信へと変わる。そして、遂にオパールが出てくる。坑道にあるような原石ではなく、ちゃんと磨いたオパール、ディンガンのおへそにあったものだ。アシュモルは、自分のおへそに当ててみる(3枚目の写真、矢印)。アシュモルは、万一に備え、オパールを運動靴に隠す。そして、埋まっている2人を見つけようと必死に石を取り除いていく。あるところで急に動きが止まり、アシュモルはじっと何かを見つめる。カメラは、アシュモルの顔だけを映し、何を見ているのかは映さない。2人はいたのか? そもそも、なぜ、アシュモルは急に作業をやめ、何かに見入っているのか? 映画は、義足とオパールが出てきた段階で、現実から空想の世界に入ってしまったため、何があっても不思議はないが、それすら観客には見せてもらえない。
  
  
  

家に戻って来たアシュモルは、「お前が言ったように、坑道に降りていったら、何があったと思う? ポビーとディンガンは崩れてきた石の中に埋まってた。ぺろぺろキャンディーの包み紙とディンガンのおへそのオパールがあったから分かったんだ」と説明する。「ケガしてた?」。「死んでた」(1枚目の写真)。「死体はどうしたの?」。「重すぎて、持ち上げられなかった」。この後、アシュモルの説明は、「ケガしてた?」の質問の前に戻る。「2人はそこにいた。そう感じたんだ。そこで、砂と石をどけたら、2人が安らかに横たわってた。手をつないでね」。「オパールを見せて」。オパールを見た妹は、兄が本当に2人を発見したことが分かる。そこで、感激して抱き付く。「アシュモル、2人を見つけてくれたのね」(2枚目の写真)。「これで、お葬式、できると思う?」。「何だって?」。「ディンガンの希望なの。彼女、こう言ってたわ。『私が死んだら、おへそで葬式をやって』って」。「彼女が?」。「2人は墓地に埋葬してもらいたがってた。だから、するって約束して。誰だってお葬式するでしょ。ポビーとディンガンもそうしなくちゃ」。
  
  

翌日、アシュモルは、約束通り、ミニ・スーパーの店長の亭主が経営している店を訪れる。看板には、「牽引、葬儀、引越、保管、造園、旅行」と書いてあるので、まさに「何でも屋」だ。アシュモルの希望を聞いた店主は、「子供の空想の産物の葬式なんか、どうやってやるんだ? 埋葬するものもないんだぞ」と否定的。しかし、アシュモルが「これで支払うよ」と言ってオパールを見せると(1枚目の写真、矢印はオパール)、途端に態度が変わる。「どこで手に入れたんだ?」。「ヌードルしたんだ」。「ヌードルした? 父親みたいに、ラッティングしたのか?」。「そんなことしてない」〔ヌードルは、前に出てきたように「廃石の中からオパールを探す」こと。ラッティングは、「他人の鉱区からオパールを盗む」こと。両者は微妙に違う〕。そして、「葬式と交換だよ。棺桶2つ。花と墓石も2つ」。オパールの価値に比べればタダみたいなものなので店主は了承する。そして、すぐに差し向かいで座り、如何にも葬儀の申し込みを受け付ける姿勢で、「故人の名前は?」と尋ねる(2枚目の写真)。名前を紙に書くと、次は。「宗教は?」。アシュモルは少し考えて、「平和主義者〔Pacifist〕」と答える。あらすじの4節目で、妹が「平和主義者だからよ、バカね」と兄をたしなめるが、アシュモルはこの時の言葉をそのまま引用した〔葬儀のスピーチの際にも引用する〕
  
  

アシュモルが帰宅すると、父が書類と睨めっこしている。「それ何なの?」と訊くと、「申し立て書と訴状だ。シドの弁護士が送りつけてきた。お手上げだ」。アシュモルは、「葬式、やるんだ」と打ち明ける(1枚目の写真)。「何だと?」。「ポビーとディンガンのだよ。ケリーアンと約束したんだ」。その時、ドアが開いてハンフが入って来る。「デビッド・ハンフリーズ、QC〔勅撰弁護士〕、参上だ」。アシュモルの嬉しそうな顔が何とも可愛い(2枚目の写真)。ハンフはすぐに本題に入る。「ネットで検索したら、似たような事例がいくつかあった」(3枚目の写真)「あの夜、何があったのか正確に話してくれ」。
  
  
  

翌朝、妹は病院に搬送され、その後、裁判が始まる。法廷の雰囲気は、傍聴者の多くが採鉱者のため、最初から「有罪」が決まっているかのようだった。相手側の弁護士の指摘で、アシュモルの父がこの地で採鉱を始めて1年しか経っていないこと、そしてもちろん成果はゼロだということが明白になる。都市から派遣されてきた判事は、幸いに先入観など全くなく、冷静に審議を進めていく。父は、侵入はポビーとディンガン探しのためと主張する。相手の弁護士は物笑いの種にしただけだったが、ハンフは2人が空想の存在ではあるが、妹にとっては現実だったと主張する。そして、証人としてミニ・スーパーの店長、学校の担任を呼び、妹がいつも2人を連れていたと証言させる。3人目に呼ばれたドックは、体調が悪化して入院するに至ったと証言。ハンフは、すかさず、「あなたの意見では、ケリーアンとその家族に対する この町の否定的な態度が健康の悪化に関与したと思いますか?」と訊く。傍聴者の中で身に覚えのある者は、居心地が悪そうだ。「ええ、そう思います」(1枚目の写真、黄の矢印は父、青の矢印は判事、赤の矢印はドックとハンフ)。そして、判事が判決を言い渡す。「単刀直入に言いましょう。被告は、すべての告発に対し無罪です」(2枚目の写真、中央奥はアシュモル)「ウィリアムスン氏は、娘を助けようとしただけです。ささいな違反行為に過ぎなかったのに、乱闘を起こして軽傷を負ったフレイザー氏が、それに対し度を越えた誇張をされたのです。このコミュニティの他の構成者は安易にウィリアムスン氏に敵対しました。この敵意は家族、特に幼いケリーアンに有害な影響を与えました」。ここで、アシュモルが「判事さん」と言って立ち上がる。「僕は、ポビーとディンガンの葬式を行います」(3枚目の写真)「変に聞こえることは分かっています。空想上の人たちの葬式ですから。でも、ケリーアンと約束したんです。妹は、ポビーとディンガンの存在を信じる人がいると、いつも幸せそうでした。もし、多数の方に来ていただければ、妹も元気になると思います」。
  
  
  

土曜の朝になると、地元のミニ・ラジオ局では、ポビーとディンガンの葬儀の話が流れる。アシュモルも、父に手伝ってもらって慣れないネクタイをしめる(1枚目の写真)。父は、アシュモルを墓地に連れて行き、それから妹を病院から連れて来るという段取り。墓地では、一足早く、母が、ミニ・スーパーの店長、兼、葬儀屋の妻でもある女性と一緒に、墓地のフェンスに造花を飾り付けている。墓地で、アシュモルと葬儀屋が会う。木の小さなお棺は仲良く並べられていた。ポビーには青と白の花輪、ディンガンには赤と白の花輪で飾られている。それを見たアシュモルは、気に入ってニッコリする(2・3枚目の写真)。
  
  
  

葬儀は10時からなのに、予定時間が近づいても誰も現れない〔真っ平らの平原なので、遠くからでも誰か来れば分かる〕。「みんな、どうしたんだろ?」。アシュモルは心配で気が気でない(1枚目の写真)。最初に現れたのは、1台の車。次いでバイク。歩いてくる人もいる。バイクでやって来たのはお手柄のハンフ。駐車場にはどんどん車が集まって来る。アシュモルも心から嬉しそうだ(2枚目の写真)。ドックも現れる。子供連れが多い。名判決を下した判事も来てくれた。父を取り調べた警官が来たのは、罪滅ぼしか。大勢の人が暑い中集まってきたので、葬儀屋が、「お集まりいただきありがとうございます。お待たせして申し訳ありません。ケリーアンはすぐに参ります」とアナウンス。その時、父の車がやって来るが見える。父は車を停めると、妹を抱き抱えて運ぶ。健康状態が好転していないことが判る。用意したイスに妹を座らせると、葬儀が始まる(3枚目の写真)。
  
  
  

葬儀屋が、「アシュモル君から挨拶があります」と言う。アシュモルは話そうとするが、言葉が出て来ない。思わず、父の顔を見る。父は替わりに挨拶をする(1枚目の写真)。「私たちが、今日、ここに集ったのは、娘ケリーアンの大の親友だったポビーとディンガンを追悼するためです…」〔父は、これまで2人のことを知ろうともしなかったのに、2人の特徴に詳しすぎるのは不自然な気がする〕。追悼の言葉は、「…2人は、ケリーアンに親切でした」で終わる。それに続き、アシュモルが心情を吐露する。「2人は英語を話し、互いに口笛で話し合っていました。でも、それを聞くには、「然るべき者」でないと無理でした。2人は、ケリーアンの後を歩いたので、足跡は残しませんでした。2人が死んだことは悲しいのですが、誰が何と言おうと僕らは幸せです。2人は本当に生きたのですから〔they really did live〕」(2枚目の写真)。2人の棺は、父とハンフの手で墓穴に置かれる。最初に、父が棺の上に土をまき、次にケリーアンがぺろぺろキャンディーを「さよらな」と言って投げる(3枚目の写真)。最後は、参列者が花を投げ入れ、ケリーアンや家族に挨拶して去って行く。全員が去った後で、葬儀屋はオパールを返してくれる。「サービスだよ〔On the house〕」。家族だけになると、妹は、「最高のお兄ちゃんね」と感謝する。映画のパンフレットを見ると、「幻の105分バージョン」〔公開版は86分〕について書かれている。105分版では、原作通りに、ケリーアンは死に、ポビーとディンガンと同じ墓に葬られる、とある。私は原作を読んでいないのでケリーアンの死の是非を議論する立場にないが、映画としては、この終り方〔ケリーアンがどうなったか分からない〕でいいのではないと思う〔元々、大嫌いな登場人物なので、どうなろうと関心はない〕
  
  
  

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